苅又山(960m)
【前書き】
今週は用事があって山に行く予定はありませんでしたが、今日は運よく午前中に用事が終わったので急遽、山に行くことに。
とりあえず、英彦山青年の家へ。裏の谷を登って北西尾根に出て中岳を往復するつもりでしたが、もう13:30を過ぎています。コースも歩いたことはないし、看板に書いてある駐車場門限の17:00までに帰ってこれる保証もないので、先週も登った高住神社から苅又山へ行くことに。
先週偶然出くわしたテンにまた遇えたらうれしいし。
【年月日】’10.5.15(土)
【コースタイム】高住神社(13:40)→第2号コンクリート谷止工(14:45)→尾根(15:40)
→苅又山(16:12)
→薬師林道登山口(17:15)→高住神社(17:50)
【同行者】単独
【写真と解説】
高住神社前は車で一杯です。薬師林道入口付近も車だらけです。ほとんど鷹ノ巣山へ登っているのでしょう。
今日はどこから登ろうかと考えながら薬師林道を下っていきます。
最初の苅又山登山口を通り過ぎてさらに下ります。次の登山口まで下りましたが、沢に降りる道が急なのでさらに薬師林道を下って、砂防ダム、第2コンクリート谷止工から入ります。直ぐに炭焼窯跡があって直進すべき所を左側の沢が水は無いけど綺麗。上の写真です。
ここから登ってみるか、と方向転換。本当はこういうのはいけないです。事故った時に発見される確率はほとんど無くなります。
しかし、ちょっと登ると沢は滑床で勾配も急で登るのは不可能。三陀山での滑落を思い出す。
右の尾根側に登る事に。結構急坂で体が萎縮する。200m位登った所で本来の登山コースにでる。
写真右端が三陀山。正面奥は野峠から続く犬ヶ岳の尾根です。
シャクナゲは終わりかけていましたが、まだ少し咲いていました。
木々の間から見える鷹ノ巣山三ノ岳です。
【後書き】
ゆっくり写真を撮りながら午後の山を歩きました。太陽の方向がいつもと違うので景色も変わって見えます。
テンに遇いたかったですが、そう上手くはいきませんね。今日も誰にも遇いませんでした。静かな山歩きには最高です。
【前書き】
元々気管が弱いのですが、4月に気管支炎になってからまだ痰が止まりません。最近は会社で午後になるとめまいはするし、吐き気がするし。
体力も気力も萎えています。ばあさんの入院で山にも行ってないし、ここは自分に喝を入れるためにも無理して山へ。
新緑とシャクナゲの苅又山。薬師林道を一人で歩くのも良し。轟集落西から道なき道を苅又山へ。
【年月日】’10.5.9(日)
【コースタイム】高住神社(8:35)→三叉路495mポイント(10:10)→轟集落(10:35)
→苅又山登山口?・昼食(11:00-15)
→苅又山(13:00-10)→薬師林道登山口(14:25)→高住神社(15:00)
【同行者】単独
【写真と解説】
薬師林道は英彦山の高住神社東の国道500号線から苅又山南東の轟集落まで続いています。
薬師峠付近は両側から岩の崩落があったり、一部林道が崩壊したりで、薬師峠付近は車の通行はできません。
昔は、薬師林道を歩いて轟集落まで行くなど考えてもいませんでした。
しかし、周囲の緑が中々綺麗な林道です。今回は高住神社から轟集落を過ぎ、5年前に登った登山口まで歩きました。
写真は三叉路手前の薬師林道から見た新緑の苅又山です。
5年前に登ったイメージでは、自然林が非常に綺麗に感じたように記憶していたのですが、今回登ってみると勾配はきついし、木と木が密で登り難いこと。
写真は一息つけるところで撮影しているので歩きやすそうに見えますが、実際は思ったよりもきついです。
5年前にも見たものです。何か分かりません。井戸ではないようです。
私は写真上方から登ってきたのですが、左の方には登山用の赤テープがあったので多分、轟集落からも登山コースがあるのでしょう。
苅又山の尾根はアケボノか、ミツバか分かりませんが、ツツジが所々に咲いていました。綺麗です。
シャクナゲはパラパラと咲いていましたが、9割がたの木には花は全く付いていませんでした。
しかし、そんな中でも蕾が山ほど付いた木もあったので不思議ですね。
背景を少しぼかしてみました。
【後書き】
めちゃくちゃ疲れました。途中で何度も休みました。
まだ、痰が止まってないのですが、体に喝です。本当に綺麗な新緑でした。
追記
帰りの薬師林道でテンと思われる動物を見ました。体長50cm程度で毛は薄い黄金色でした。褐色や黒ではなく、黄金色だったのでびっくりしました。
【前書き】
英彦山周辺は結構山が深く、二万五千分の一地形図を見ても登山道の書いてない山が幾つもあります。但し、山深くなくても登山道が書いてない山は幾つも有りますが。
英彦山は家から1時間ちょっとなので暇なときには英彦山周辺の山を歩いてみたいと思っていました。
今回は手始めに英彦山から約3km東に位置する苅又山に目標を定めました。しかし、登山口があるのか、否か、登山道があるのか、否か、分かりません。インターネットで苅又山を検索すると幾つか引っかかりますので人が登っているのは確かです。場所は大分県下毛郡山国町です。市町村合併で中津市になったようです。
【年月日】’05.5.8(日)
【コースタイム】標高500m地点に駐車(10:00)→(道なし)→標高745m井戸?(11:00)
→山頂(11:35-12:00)→井戸?(12:40)→轟村(13:25)→駐車地点(13:50)
【同行者】単独
【写真と解説】
![]() |
轟集落手前から苅又山 |
登山口は山国町の轟から薬師林道側か、赤鞘林道側にあるはずなので取り合えず、轟集落まで行くことにしました。 轟手前で苅又山が見えてきました。近くで農作業をしているおばさんに登山口を尋ねましたが、今は無いのではないか、との回答。がっかり。 轟から赤鞘林道に入ってみようとしたのですが、道が悪くて轟に引き返しました。 |
![]() |
登山口? |
轟で農作業をしようとしていたお爺ちゃんに登山口を尋ねると知っているとの事。案内してもらいました。 赤鞘林道の最初の橋(赤鞘1号橋)を渡って暫く進んだ付近。 しかし、この山、どこから登っても一緒。 お爺ちゃんの指示は、目の前の尾根に登って写真左の山頂に向かえ、でした。 それと武器を持って行け!との事。猪と鹿が出るらしい。実際に山中で2頭の鹿を目撃しました。 |
![]() |
標高745m付近の井戸跡? |
これは何だか分かりませんが、ここまで来るのは一苦労。 少し前に女性ばかり50人位が団体で登っているので何か跡があるだろう、とお爺ちゃんは仰いましたが、足跡らしきものが見えたのは最初だけで、後はテープも道も足跡も無い道なき道を磁石だけを頼りにひたすら登ること1時間。やっとピンクのテープのあるこの場所に出てきました。 ここに出る前は、ひょっとすると今日は山中で一人野宿する羽目になるかもしれないと心細くなっていたのです。なぜなら、下山時にどこを登ってきたのか、分からなくなって、道に迷う恐れがあると心配していたのです。 ここから山頂まではテープもあり、安心。 |
![]() |
井戸跡?上から撮影 |
下山時にこの井戸跡みたいなのをもう一度撮影しました。 中心に円盤状の石の板みたいなのが置いてあります。何か線が引いてあったような。 炭焼き釜の跡にしてもおかしいし。 |
![]() |
山頂手前のシャクナゲ |
井戸跡?から山頂まではテープもあり、迷うことも無く登れました。 途中、椿の花が結構散ってました。 山頂手前でピンクの花が目に付いたので近づくとシャクナゲでした。綺麗な色合いでした。残念なことはたった2株しかシャクナゲがないことでした。 |
![]() |
ハイノキ |
下を見ながら登っていると白い綺麗な花びらがたくさん散っていました。見上げても花は見当たらないし。 暫く行くと目線の高さに花が咲いていました。何の花か知りませんが、近くで見ると可愛い花です。 この花、非常にたくさん咲いていました。 後で調べてもらってハイノキと分かりました。可愛いでしょ! |
![]() |
苅又山山頂 |
山頂です。木で周囲はあまり見えません。 木の間から三陀山や鷹ノ巣山が結構近くに見えます。 山頂付近の木を一部刈れば、展望抜群で人気の山になりそうな気がします。 お爺ちゃんの話では、昔は展望が良かったみたいな話でした。木の太さを見ると分かりますが、大半の木は10年経っていないのでは? 西方向にもテープがあったので英彦山辺りから尾根伝いでもここに来れるのかな? |
![]() |
轟の下山場所 |
井戸跡?からはテープを頼りに下山したのですが、途中からテープは無くなり、何となく下山方向が違っていることに気が付く。 登った場所にテープが無かったのだから、テープ伝いに下りたら、違うところに下山するのは当たり前。 二万五千分の一地形図を見ながら、大体の見当は付けていたので特に慌てることもなし。 この山、どこも下草が少なく、登山道と思えば、どこでも登山道のような気になる。 要するにこの辺り一体、どこから入山しても方向さえしっかりしておけば、頂上に立てるような気もする。 |
![]() |
下山場所から。台風の影響? |
山の木がもろに風でなぎ倒されたような倒れ方。昨年の台風の所為でしょう。 山の数箇所でこのような跡が見られました。 登りの時には、下山時の事を考えて、対岸の崖崩れがどの方向に見えるか、等気をつけて登りました。 今回の山登り、非常に勉強になりました。 お爺ちゃん、有難う御座いました。 昔は、猿もいたそうですが、今はいないそうです。 |
![]() |
木地師の墓 |
木地師は、平家の落人伝説と共に語られることの多い人々で、木地師がこの付近に住んでいたということは、この付近一帯が山深い地区であることを示していると思います。 轟の入口に墓の案内板が立っています。 墓の横は田んぼで、お母さんは手で、お父さんは田植え機で田植えをしていました。 田植えしている横でカエルが鳴いていました。気の休まる風景です。 |
【後書き】
今回の山行、轟の80歳位のお爺ちゃんに逢えなければ、不発に終わっていたところです。感謝。「武器を持っていけ」には驚きましたが、それだけ猪や鹿に普段から畑や田を荒らされたり、山仕事での長年の経験が物を言わせているのでしょう。普段は1本のレールのような登山道を辿るだけなので、登山中に地形図を見ることもあまりありませんが、今回は現在位置の確認のために真剣に地形図を見ながら歩きました。
現在位置確認のためには、高度計が必要不可欠だと思います。私はCASIOの高度計機能付き腕時計をしていますが、これを正確に使用するには、基準点での高度調整が必要です。あわててるとこの事前の高度調整を忘れてしまうのです。自分の家の高度を正確に知っておいて、出発時に調整するくらいの余裕を持ちたいと思います。