四王寺山(大城山)

【前書き】
 福岡県の出前講座で水城の歴史について話を聞いて以来、一度水城(みずき)の全貌を山の上から見てみたいと考えていました。
 四王寺山には96年8月27日に登ったきりですので約20年ぶりです。

【水城について】
 7世紀の朝鮮半島は、北の高句麗、東南の新羅、南西の百済の三国時代であった。新羅・唐の連合軍が百済を攻めた時、百済は倭に援軍を求めた。倭は軍を朝鮮半島に送ったが、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した。唐・新羅連合軍の日本への侵攻を懸念した天智政権は、対馬、壱岐、筑紫国に防人と狼煙を配備し、664~665年に大宰府防衛のために水城、大野城、基肄城を築いた。
 水城は、大宰府の博多湾側で平野がくびれる四王寺山(大城山)と大野城市牛頸を結ぶ形で築かれ、全長1.2km、高さ9m、基底部の幅約80m、上部の幅約25mの土塁で博多側には幅60m、深さ4mの外濠も掘られた。
 正確性を欠くかもしれませんが、ざっくり以上の通り。
 あの645年の大化の改新を行った中大兄皇子、後の天智天皇の時代のことです。土塁の体積だけで567000㎥。工事を容易にするために外濠を掘って、その土砂を土塁に使ったとしても人力だけで大変な作業です。それを1~2年で完成させ、それが現在も残っているというのは凄いことだと思います。 

【年月日】’17.11.25(土)
【コースタイム】観世音寺駐車場(8:20)→大宰府政庁跡(8:30)→坂本の大石垣(9:20)→26番札所(10:030)→大城山(10:10)
          →野外音楽堂(10:30)→百間石垣(10:50)→(廃道?)→野外音楽堂(11:05)→(車道)→県民の森センター(11:20)
          →焼米ヶ原(11:40)→岩屋山(11:55)→観世音寺駐車場(12:35)

【同行者】単独

【写真と解説】


 20年前に来た時は、政庁跡に駐車場があったのに今日は見当たりません。付近をうろつきましたが、朝の通勤通学で車も多く、探すのに苦労しました。取り敢えず、観世音寺の駐車場に車を止めて、トイレを掃除していたおばさんに尋ねると政庁跡に駐車場はあるとのこと。良く考えてみると開放時間が8:30からなのでポールがあって入れないだけでした。車を移動させるのも面倒なので観世音寺の駐車場から出発しました。
 写真は大宰府政庁跡。後ろの山が四王寺山。


 四王寺山はミニ阿蘇山みたいなもので中央部が盆地になり、外周を歩くことができます。今日は時計回りで歩く予定でした。外周の尾根にたどり着く前に出てきたのが坂本の大石垣です。四王寺山は博多湾から大宰府に向かって唐・新羅連合軍が攻めてきた時の大宰府防衛の最後の砦だったのでしょう。石垣は平成の豪雨で上流が崩れた影響で壊れ、修復したもののようです。谷を登ってくる唐・新羅連合軍を防ぐために築いたようです。


 今日の目的は水城を見ることです。どこからか見えるのか、見えないのか分からなかったので少し不安でしたが26番札所から見えました。
 写真は博多湾方向です。


 少し視界を左に移動すると平野が狭まる写真左に水城が見えます。


 写真下の中央部左寄りから写真中央に伸びている棒状の森が水城です。九州道で切られています。


 水城の拡大写真です。この付近、水城跡東門に太宰府市が水城館を作ったので帰りに寄ってみたかったのですが、下山後は車が混んでいたので止めました。


 大城山(410m)からも水城が見えます。空には福岡空港を飛び立った飛行機が。


 今日は百間石垣から北石垣、小石垣を経由して大原山に回る予定でしたが、百間石垣の先から誤って廃道のような道に入り込み、出てきたところが元の野外音楽堂で狐に騙されたような気分になりました。
 このような小さくて、史跡の多い山は迷路のように道があって、主要道路には案内板が張られていますが、古い道は打ち捨てられています。国土地理院の地形図にはそのような道も地点も記載されていないのでほとんど何の役にも立ちません。
 怪しいと思った時にザックからコンパスを出さなかった自分が悪いのですが、まあ迷っても遭難するような場所でもないし、車道を歩きながら焼米ヶ原を目指しました。


 岩屋山(281m)です。大宰府政庁跡が見えます。西鉄のレッツハイクの登山者が大勢いました。

【後書き】
 久々に道に迷いました。ザックからコンパスを出すのを億劫に思ってこうなるのですから最初から地図とコンパスをウエストバッグに入れておけば良いだけです。
 大化の改新の時代に日本が国際情勢に対応して、短期間で防衛施設を作ったものが現在も立派に残っていました。四王寺山全体が当時は要塞でした。その要塞を形作っている石垣類が平成になって豪雨による山腹崩壊等で崩れています。修復されてはいますが、平成になって大規模に崩壊が進んでいるのは悲しいことです。地球温暖化は単に温暖化するだけでなく、集中豪雨、記録的豪雨も伴うというのは現実化しています。

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