「墜落の夏−日航123便事故全記録−」を読んで

 通勤中には電車の中で小説を読むか、資格試験の問題を解くか、柔道の本を読むかのいずれかである。読む本が無くなるとしばしば本屋に行くが、最近ではどの本を読めば良いのか、判断できずに苦労する。昔はつまらない時間潰しの本もよく読んだが、年をとると時間潰しも勿体無い。

 1985年8月12日の日航機の御巣鷹山墜落事故は、その当時、日航機が行方不明になったとのテレビの速報で知った。坂本九ちゃんが乗っていた飛行機である。後で知ったが、小中高が一緒だった同級生もこの事故で亡くなった。

 日航123便は伊豆半島東側上空で圧力隔壁が破壊し、それにより垂直尾翼の大半は吹き飛び、油圧も失われ、操縦不能となった。操縦不能となりながらもコックピットの3名のクルーは墜落までの32分間を何とかしようと努力していた。その様子は、テレビで放送されたボイスレコーダーで知った。副操縦士をしかりつけるように激しい口調で指示し続ける機長。機体を安定させ、降下させるためにギアダウンを提案する航空機関士。それまで強気で指示していた機長が途中で「これはだめかもわからんね」と言った言葉は印象的であった。

 日航の事故の後にアメリカでも同様な事故が発生したが、この時は被害が最小限に抑えられた。それは、テレビで何回か放映されたが、機長が日航機事故を参考にして、シミュレーターで何度も訓練をしていたこと、客席にいた機長格の人間がコックピットに入り、エンジンの出力調整を助けた事等が影響しているようである。

 日航123便の機長に対して当初から結構非難があったことは知っていた。機体異常についての通信情報が非常に少なかったとか。今回も本屋で日航123便機長を批判したような本があった。本の帯には「墜落か、生還か−パイロットの腕次第だ! 日航機の御巣鷹山の大惨事は回避できた!」とある。飛行機関係の本を多数書いている加藤寛一郎著「爆発JAL123便」。この本も一緒に買った。

 吉岡忍著「墜落の夏」新潮文庫を読んで印象に残った点は、4人の生存者の中の一人で日航のアシスタント・パーサーだった落合由美さんの証言である。最後まで乗客は大きく取り乱すことはない中で、救命胴衣着用時に慌てて膨らませたのも(本来、救命胴衣は着水して外に脱出してから膨らませる)、スチュワーデスに「どうなるんだ」「大丈夫か」「助かるのか」と聞いていたのは男性ばかりだったとの事。日航123便が飛んだ東京〜大阪間は颯爽と背広を着て、仕事の最前線で働く男性乗客が多い中で、いざと言うときに取り乱す男共。この時は盆前で女性や子供の乗客も多かったのに。

 この本には、日航123便の事故から3ヶ月が過ぎた11月中旬に羽田空港と向かい合っている中学校の女子生徒が自殺した事が書いてある。直接、日航123便の事故とは関係ない。その中学生は高層マンションの自宅のベランダから飛び降りた。ベランダに残っていたノートには次のように書かれていたという。「私はA子とB子に舎弟になるように言われた。さからえなかった。ふたりに、ある子をいじめるように言われたが、私には出来ない。こういうことをなくしてほしい。ふたりに注意してください」

 日航123便の事故は今から21年前の出来事であった。その当時からいじめで自殺する子がいたことを改めて認識した。文部科学省はいじめによる自殺者を7年間ゼロとしてきて批判されている。福岡県筑前町のいじめによる自殺の調査委員会は、いじめと自殺の因果関係が明確でないようことを言っている。また、因果関係か。因果関係と言う言葉は、権力が自分達の罪を隠すために使ってきた言葉である。水俣病なんかは因果関係が明確でないと言って20年以上罪を認めないだけでなく、被害をその間拡大させ続けた。筑前町の態度も一緒である。そういう隠蔽体質、旧守的な体質が次の犠牲者を生むのである。

 いじめによって生きていく力が無くなったと言って自殺し、同級生もいじめの実態を証言しているのに、いじめと自殺の因果関係が明確でないと言うのなら、何を持って因果関係を証明すると言うのか。科学の問題ではないのだから、こういう問題は最終的には担当者の考え方にゆだねられる部分があるだろう。と言うことは、筑前町の町教育委員会、校長など全員腐っていると言うことだ。いじめと自殺との因果関係を認めたら自分達に責任の一端があることを認めなければならないので、認めないのだろう。要するに自分達の責任を認めて学校や地域を改善するよりも、自殺を無視して自分達の立場を守る方を選択したわけだ。

 いじめで自殺している子供達は、要するに命と引き換えにいじめの実態や苦しさを大人や教師に訴えているのである。東京の女子生徒のように命をもって「こういうことを無くして欲しい」と訴えているのである。その心を理解しようとしない教育委員会や教師、校長は不要である。彼らは、教育を考えるよりも自分の保身のみを考える卑怯者集団である。社会の屑であり、害悪をもたらすもの以外の何物でもない。

 20年前から何も変わっていない。それ以前から何も変わっていない。日本には自分の力で社会を変える力は無いのだろうか。

(以上、2006年11月26日記)

 加藤寛一郎著「爆発JAL123便」を読み終えた。第1章で日航123便の事故を紹介した後、第2章“奇跡の着陸とパイロットの技量!”で日航123便の事故から4年後の1989年に米国アイオワ州で起こったユナイテッド・エアラインズ232便DC-10の事故を紹介している。この事故は油圧系統の破壊で日航123便と同様に操縦不能になったのであるが、何とか空港までたどり着き、乗客乗員296名中185名が助かっている。日航機とユナイテッド・エアラインズの事故の違いは、ユナイテッド・エアラインズの方は機体の与圧が破られておらず、乗員は充分な酸素を吸っていたのに対し、日航事故の場合には酸素マスクを着用していなかったために乗員に低酸素症の徴候が認められ、この差が両者の結果の差に影響したことを匂わせている。

 また、ユナイテッド・エアラインズ事故に関する事故報告書の次の抜粋を記述することでユナイテッド・エアラインズの乗員の技量の優秀さを褒め称えている。「あのような状況下で乗員が示した能力は高く称賛に値し、論理的予想を遥かに超える」。更に本の帯には「墜落か、生還か−パイロットの腕次第だ! 日航機の御巣鷹山の大惨事は回避できた!」との記述がある。要するに著者は日航機は機長の腕が悪かったのと低酸素症の影響で墜落し、ユナイテッド・エアラインズ232便は乗員の操縦の腕が良かったから半数以上が助かったと暗に言っている。

 別に日航123便の機長を弁護するわけではないが、加藤寛一郎著「爆発JAL123便」は両事故を評価するに当たって決定的な事項を書き漏らしている。それは以下の2点である。

@加藤寛一郎著「爆発JAL123便」にも書いているが、日航事故当時、パイロットの中で4系統の油圧装置が全て機能を喪失するような事態はあり得ないと  考えるのが、常識であったこと。即ち、4系統の油圧が全てゼロを表示しても、表示の方がおかしいと考えられたこと。それに対し、ユナイテッド・エアラインズ の事故の場合、乗員は日航機事故の事例より油圧系統の機能が全て喪失する事態がありうると言うことを認識していたであろうこと。

Aユナイテッド・エアラインズの事故の場合、4年前の日航機事故の事例をパイロットは知っていたと考えられ、特に偶然乗客の中にいた訓練審査官である機 長は日航機事故と同様の事故が生じた場合の対処法をシミュレイターで練習しており、彼が実際に事故機のスロットルを制御したこと。

 即ち、日航機事故の場合とユナイテッド・エアラインズの事故の場合では、乗員の置かれた条件は全く異なるのである。これを考慮せずに両者の比較をするのは公平ではないし、全くおかしな評価をすることになる。

 但し、日航機事故の場合、私が残念だったと考えることが2点ある。

 一点目は、航空機関士が酸素マスクの着用を提案したにもかかわらず、機長も副機長もそれに従わなかったこと。

 二点目は、クルーの安全に対する組織論は従来の絶対的権限を有する機長の存在から、それぞれ責任を分担する組織論に変わってきていたはずである。即ち、機長一人の判断ミスが致命傷にならない組織が推奨されるのである。それに対して、機長と副機長の会話を見るとどうも機長の権力が強すぎるような気がする。航空機関士の意見はすんなり聞く機長であったが、副機長との関係が適切でないような。ただ、その点が改善されていても事故の結果は変わらなかっただろうが。

(2006年11月29日追記) 

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