何が悪い、阿部詩の号泣
パリオリンピック女子柔道52kg級の2回戦で阿部詩(24歳)がウズベキスタンのディヨラ・ケルディヨロワ(世界ランク1位、26歳)に谷落しで一本負けし、阿部詩は畳を降りてから会場で数分間号泣した。これに対して色々な人間が非難の言葉を発している。
主な非難は次の2点だろうか。
@武道家として礼節を欠いている。
A競技の進行を妨げた。
さて、そもそも柔道は武道なのか?確かに文部科学省の学習指導要領では体育に武道を取り入れ、その武道には柔道、剣道、相撲が採用されている。ただ、この3者の中で柔道だけが剣道及び相撲と全く異なる点がある。それは剣道と相撲が日本古来からの伝統文化に基づいた格技、即ち武道であるのに対して、柔道は日本古来の柔術をベースにしているとはいえ加納治五郎と言う個人が創始した技術体系であるという点である。
加納治五郎は晩年まで柔道だけでなく、その他の多くの格闘技(空手、合気道、古武道等)の技術の理論化あるいは技術の伝承を考え続けた人であった。例えば、柔道では古来の柔術にあった当身技は採用されていない。それは体育として全力で技を掛け合った時の対処が出来ないからである。しかし、加納治五郎は終生、当身技や柔道に無い武道技術に関心を示し、どのように柔道に採用するか、あるいはそれらの技術を後世に伝えるかを考え続けた人であった。
この様に書くと加納治五郎は明治時代の武術オタクの様に思われるかもしれないが、そうではなく東大を卒業後は、学習院の教授や東京高等師範学校(現在の筑波大学)の学長を務めたインテリである。灘中学・高校の設立にも関係している。要するに加納治五郎は教育者であり、創始した柔道は国民の体育向上に充分資するとの考えで国内での柔道の普及に務めてきたのである。
東大の前身の開成学校時代、加納治五郎は体格の良い同級生らに理不尽な扱いを受け、強くなりたいとの思いで柔術を学ぼうと思い立った。しかし、明治初めの時代、既に時代遅れの柔術を教える道場など存在しなかった。柔術で飯を食えない柔術家は何をしていたか。現在の柔道整復師、当時では骨接ぎの看板を掲げていたのであろうか。加納治五郎は天神真楊流と起倒流柔術を主に学んでいる。もし、加納治五郎がいなかったら現在の柔道も存在しないし、柔道から派生したブラジリアン柔術も存在しない。そして、現在の体育に取り入れられている柔道も存在しなかったのである。
要するに加納治五郎は日本古来の柔術と言う武道の技を体系化、理論化し、若者の体育向上の優れた科目として日本国内だけでなく、世界への普及を行ったのである。柔道を武道というが、加納治五郎にとっては武道以上に若者の肉体と精神の鍛錬の為のスポーツであったのである。
柔道の精神は、『精力善用・自他共栄』である。柔道の目的は、『体育・勝負・修身』である。
加納治五郎は、国際オリンピック委員会の委員となり中止になったが1940年の東京オリンピックの招致にも成功した。もし、加納治五郎が現在のオリンピックの柔道を見て、礼節の点から感想を述べたら何というであろうか。
多分、『勝った者が畳の上で拳を振り上げて何たる無礼を働いているか。敗者あっての勝者。勝負は時の運。相手への礼節を弁えろ!』と言うであろう。
阿部詩が試合に負けて号泣した事自体は何ら礼節に反しない。何故なら号泣する程の悔しさを我慢して、ちゃんと礼をして畳を下りているのである。あれだけの号泣の欲求を我慢して礼をして畳を下りているのにどこが礼を欠いているというのか?武道家としての礼節などと偉そうに阿部詩を非難するならその前に礼をする前に拳を振り上げる山ほどいる礼節を欠いた選手をなぜ非難しないのか!
偉そうに阿部詩を武道家として礼節を欠いていると非難するスポーツライターやコメンテーターどもは、もっと礼節について勉強すべきである。自分自身の馬鹿さ加減を露呈しているだけである。フランスのテディ・リネールの試合を見てみなさい。団体戦の決勝戦でも勝った瞬間に拳を振り上げている。対戦相手の斎藤に対する思いやりも礼節も微塵もないのである。なぜ、阿部詩を非難して、テディ・リネールは本当に強い王者だと褒めるのか。完全に礼節を欠いているのである。要するに阿部詩を非難している連中の根拠など極めていい加減なものなのである。弱い者いじめ。ハラスメント。自分の馬鹿さ加減を露呈しているに過ぎないのである。
Aの競技の進行を妨げたは問題ないでしょう。たかが、2〜3分競技の進行が遅れて何の問題があるのか。そもそも試合はゴールデンスコアに入ると何分で試合が終わるかは分からない。そういう試合進行時間の不確定さを含んで運営しているし、競技の進行が妨げられてまずいのなら会場の進行掛が責任をもって阿部詩を会場から排除すべきであるが、そうしなかった。試合進行の全ての最終責任は主催者側にあるのであって阿部詩にはない。そして会場の観客は“UTA”コールを送って阿部詩を励まし、共感してくれたではないか。会場の観客がブーイングしたのならまだしも理解を示してくれたのに何故非難する。これも弱い者いじめの為の屁理屈と言うものであろう。
本当に阿部詩のあれほどの号泣にびっくりしたのが本心であるが、彼女はもっと強くなって帰ってくると信じたい。怪我しなければ大丈夫。
(2024年8月10日 記)