阿弥陀仏と統一教会比較論

 阿弥陀仏の願いは全ての衆生を救うことである

 親鸞聖人による正信念仏偈の源信讃の後半に次のように示されている。

 極重悪人唯称仏 (ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)
 我亦在彼摂取中 (がやくざいひせっしゅうちゅう)
 煩悩障眼雖不見 (ぼんのうしょうげんすいふけん)
 大悲無倦常照我 (だいひむけんじょうしょうが)

 読み下し文
 極重の悪人は唯、仏を称すべし
 我亦かの摂取の中に在れども
 煩悩、眼を障えて見ずと雖も
 大悲、倦きこと無く、常に我を照らしたもう

 現代語訳
 極めて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。
 私もまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、
 煩悩が私の目をさえぎって、見たてまつることができない。
 しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのような私を見捨てることなく常に照らしていてくださる。

 阿弥陀様は煩悩まみれの私を常に見守っていて下さる。
 一方、統一教会では献金を怠ると地獄に落とされるそうな愛も慈悲も全くない。特に過去に朝鮮を支配した日本人は償いの為に多くの献金をしないと地獄に落とされるそうな。統一教会の内部資料で毎年の献金額は約600億円と言っていた。それ以外に合同結婚式や韓国での研修時の直接韓国内に落とす献金もあるというから統一教会が日本から吸い上げた金は総額数兆円に達しているのだろう。統一教会の神は本当にお金が好きなんだのう。

 金を欲しがる神は偽物です。

(2022年7月31日 記)