家系図(先祖の記録)作成

 父も亡くなり、母も亡くなった。色々と聞いておきたかったこともあるが、今となってはどうしようもない。若い時には親の昔話などあまり興味がない。現在、自分が親の年齢になって子供に伝えておきたいこともあるが、長男などはまだ聞く耳を持っていない。一昨年から先祖のことを調べ始めて約50頁の資料にまとめた。しかし、調べれば調べるほど、不明な点が出てくるので困ったものだ。ひどいのになると戸籍に記載されている親子の関係と位牌と墓石に記載されている親子の関係が一致しないとか、戸籍に書かれている関係が妹なのか娘なのか分からないとか。

 NHKのファミリーヒストリーの影響なのか、世間では家系図調査が流行っているようだ。行政書士などによる家系図調査受託のホームページがたくさん見受けられる。明治期までの戸籍調査だけでも何系統調べるかで値段は変わるが、大体5〜30万円程度掛かる。依頼者の出身地の墓石調査や地方の文献調査、関係者へのヒアリングなどまで依頼すると50〜100万円レベルになる。今回、自分で色々調査して分かったことは出来るなら自分で調べた方が良いということである。戸籍調査だけでは事実と異なる結果が出る可能性があるということ。その辺は先祖が正しく位牌や過去帳等の記録を残しているか、否か、でも変わってくると思いますが。

 なぜ先祖の記録を作ったかですが、いくつか理由があります。出身地の島根に山が少しあって、そこに古い墓があるので子孫に伝えていく必要があること、先祖の法要の年表を作って伝えておくこと、子供が歳を取って先祖のことを知りたいと思った時のために記録を残しておくこと等でしょうか。自分自身がぼけてしまったらこういう作業は出来ないので今のうちということです。因みに私が生きている間に担当するであろう法要には100回忌と150回忌も計画に入っています。

 家系を調べるための基本的な情報源としては、戸籍と位牌の記録及び墓石の読み取り記録を使いました。明治になって最初に作られた戸籍は明治5年式戸籍、壬申戸籍と言われるものですが、これは現在は入手できません。入手できる最も古い戸籍は明治19年式戸籍と言われるものです。この戸籍の戸主欄に記載されている人は大体江戸時代生まれになっていると思います。前戸主欄に記載されている人は明治になる前に亡くなった人ではないでしょうか。そう考えると戸籍だけで概ね江戸時代末期までの先祖は辿れることになります。ただ戸籍に記載されていることが正しい事実かというと場合によっては相当いい加減な内容の場合もあるので注意が必要です。この点については後で書きます。

 位牌の記録と墓石の記録は二十数年前にまとめていたので今回の調査で非常に助かりました。田舎の昔の墓は天然の石に名前を刻んだ個人ごとの墓石でした。古くなって文字の読み取りも困難になりかけていた約30年前に写真を撮って、読み取った内容を記録していたので家系の確定に役立ちました。位牌の記録は、家を建て替えて新しい仏壇を入れる時に古い位牌から過去帳に替える時に整理したものです。現在、18人の名前が記載されていますが、当時はこの人は誰?なぜうちに法名が伝えられているのか疑問、というような名前が幾つかありました。現在は家系については全てが判明したのですっきりした気分で子孫に伝えていくことができます。どちらにしてもこういう古い記録は家系調査に極めて重要です。

 30年近く前に父が亡くなって初めて明治19年式戸籍を見た時から一つの大きな疑問がありました。墓石と位牌で確認できる4代前の夫婦の名前が戸籍からすっぽり抜けているのです。家には法名、行年、没年、親子関係が伝わっているのに戸籍には載っていない。戸籍の記載欄を見ても何が書かれているのか意味がよく分からない。という状態が20数年続いてきましたが、今回やっと事情が分かりました。江戸時代末期、4代前夫婦は10歳前後の子供二人を残して30代で戸主になる前に亡くなったので前戸主として戸籍に名前を残すことができなかったようです。10歳前後で両親を亡くした兄弟は親族の家で育てられたことが戸籍から読み取れました。この解読にも相当の時間が掛かりました。専門家が見れば多分直ぐに分かることだと思いますが、素人だとこんなに時間が掛かるのかと。

 幕末の先祖の中に藩の殿様の傍に仕えた人がいると聞いていましたが、それが誰なのか、さっぱり分かりません。そもそも出身は農民なので殿様の傍に仕えるなどということが常識的にあるとは考えられません。その人と血の繋がりがあるのか、無いのかも母も亡くなったので確認のしようがありません。ところが探せば何か出てくるもので、私は会ったこともない遠い親戚がその家系図をまとめたものの中に同じ言い伝えをまとめた記録が出てきたのです。満更言い伝えが作り話でないとすると何らかの文献に名前が載っているはずだと島根の図書館に通う事数度。ある町誌に載っておりました。殿様に仕えたことではありませんが、幕末の動乱期の庄屋の記録の中に。

 幕末、長州藩が石見地方に侵攻してきた時、浜田の殿様は遁走し、藩は無政府状態になりました。殿様の遁走で役目も終わり村に帰った先祖は、無政府状態の藩の管理のために出張してきた長州軍との対応で少し活動したことが、庄屋の記録の抜粋を掲載した町誌に載っていました。この先祖が城勤めの最中に、勤めが終わったら結婚しようねと約束した人との間に出来た娘が私の曾祖母です。そして幕末動乱期に幼い曾祖母を残して母親は若くして亡くなり、先祖は弟に家を譲り、他家へ養子に入ったのです。曾祖母は家を譲られた叔父の家で育てられたので、戸籍には叔父の娘とも妹とも何とも分からない記載になっていたのだろうと思います。どちらにしても明治時代の戸籍は精密なものではありません。明治前の生年月日など改元で存在しないはずの月日が記載されているものもありますし、夭逝した子供の名前が空欄になっていたり。田舎なので子供が生まれた届け出も亡くなった届け出も農作業が忙しい時期には後回しにした為と思われます。

 さて、先祖が城で殿様の傍に仕えたという言い伝えは本当なのか。もし本当なら庄屋の記録に載っているだろうと庄屋文書がどこにあるのか探してみました。図書館にはありませんでしたが、市役所に庄屋文書の写真記録があることが分かりました。しかし、私のような素人に古文書が読めるのか?相当疑問ですが、新型コロナが治まったら一度見せてもらいに行こうと考えています。

 先祖のことを調べて分かったのは、現役で働いている間は自分で調べるのは結構パワーを必要とするので気力が十分でないと続かないだろうという事です。現役の間は記録の保存だけはしっかりしておき、仕事を引退してからゆっくり記録を整理して調査するのが良いかと思います。しかし、その時には親も亡くなり、古い話を聞けなくなっている可能性はあります。

 少し前に大正時代の千頁を超える真宗聖典が本棚から出てきました。浄土真宗の家なら日常勤行聖典は普通に家に置いてあると思いますが、真宗聖典は中々置いてないと思います。最近、寺の壮年会の方から真宗聖典を頂き、拝読していますが、理解するのは中々難しいです。祖父や曽祖父が拝読していた聖典と内容は少し違いますが、同じ真宗聖典を読んでいると思うと先祖も身近に感じます。

 先祖のことを調べて、先祖の苦労が良く分かり、身近に感じることができるようになりました。過去帳の18人の全てが分かったわけではありませんが、主要な疑問は解消して、それぞれの人に人生のドラマがあったことを知ることができたのは最大の成果です。先祖に少しでも興味のある方はご自分で調査を始められることをお勧めします。

 現在、昨年作った先祖の記録の改訂版を作成中です。私が島根で生まれた家は明治19年に曽祖父が別立した家です。ではその前はどこに住んでいたのか?親に聞けば分かったはずですが、そういうことを知りたいと思ったこともなかったというか、ずっと前からそこに住んでいたと調査するまでは思い込んでいたので疑問にも思ったことは無かったのです。現在、明治初期の村誌を元に出身地を調べようとしていますが、当時の字地名は全て消えてなくなっているので現在調査はストップしています。法務局や市役所に行けば分かると思うのですが、そこは遠いし、知らない役所は敷居が高いし、あまり行く気になれません。

 除籍と改製原戸籍には保存期間が定められています。現在、誰でも明治19年式戸籍まで遡れる訳ではありません。思いついた時に行動を起こした方が良いかもしれません。

(2020年5月4日 記)

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