衰退する浄土真宗

 正月1日朝にNHKで『西本願寺 伝統と葛藤』という番組が放送された。内容は最初に京都西本願寺の阿弥陀堂や御影堂を始めとして国宝などの紹介があった後に衰退していく浄土真宗の現状と対応の話であった。

 こう言っては申し訳ないが、寺の対応は遅すぎる。
 私は子供の頃から母親が寺で法話を聞くのに連れられて寺に行っていた記憶があるが、主体的に寺と付き合うようになったのは父親が亡くなってからである。約30年前から時々壮年会の飲み会に出ては、「従来の寺の活動では門徒は減少するばかりであり、積極的に布教と現代人の悩みに対応する活動を行う必要がある」と主張していた。だれも私の言うことを聞かないし、住職との関係も険悪になったと当時の日記に書いているから相当酔って激論したのだろう。

 西暦1200年前後、源平合戦の時代頃まで平民が救われる仏教の教えは日本に存在しなかった。存在するのは国家公務員である僧侶と自力で修行して悟りの道を進む聖道門の教えのみであった。平民は食べていくのに必至で修行などする暇も知識もないから彼らには救われる道は無かった。
 そこに念仏するだけで誰でも阿弥陀様に救われると従来に無い革命的な教えを広めたのが法然上人であり、その弟子となって布教を行い、教えを深めたのが親鸞聖人である。僧侶で初めて妻帯したのも親鸞聖人である。

 親鸞聖人の正信念仏偈の源空讃には次のように法然上人を讃えている。

 本師源空明仏教    本師源空は仏教を明らかにして、
 憐愍善悪凡夫人    善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
 真宗教証興片州    真宗の教証、片州に興す。
 選択本願弘悪世    選択本願、悪世に弘む。

 この法然上人、その教えを引き継いだ親鸞聖人の活動は、当時の平民にとって画期的な救いの手であったのである。だから逆に当時の比叡山や東大寺などの国家公務員僧侶から弾圧を受け法然上人も親鸞聖人も流罪になった。正に彼らは庶民に救いの道を与えた革命家であった。

 一方、現在の浄土真宗はどうか。完全な葬式仏教になり下がっている。浄土真宗の僧侶は葬式で必ず次のように言う。『これを縁に』と。故人が御浄土に旅立ったのを縁にと。
 現代社会は、葬式や法要、供養は面倒でやりたくない、子供にもさせたくないという風潮になっているのである。葬儀も死体を病院から火葬場に直送して告別式も行わない格安プランが流行るご時世なのである。
 葬式を縁になどとのんきなことを言って通用するはずはない。現代社会で忙しく働く人々に浄土真宗がどんな救いを与えることができのか?これが課題なのである。出来なければ潰れるだけである。

 放送の中で大谷光淳 第25代門主は次のように述べられている。
 『(浄土真宗には)往生とか浄土とか、あるいは他力本願 煩悩といった言葉があります。現代を生きる私たちにとってどのような意味があるのか。生きていく上での支えになるところをもう少し焦点を当ててお話をしていくことがいるのではないかと思っています。』

 浄土真宗本願寺派には布教師の制度がある。布教師は彼岸や報恩講の折りに各地の寺から招かれて法話を行う。こんな言い方をしては申し訳ないが昔の布教師は爺ちゃん婆ちゃん相手にお涙頂戴の話をしておけばよかった。しかし、これからは若い者にも通用するもう少し本質的な話も取り入れて行く必要があると思う。

 現在は法然上人の『選択本願念仏集』を読んでいる。法然上人の優しい人柄を感じる。
 今年の目標はもう一度『正信念仏偈』と『教行信証』の勉強をしようかな。南無阿弥陀仏。

(2026年1月3日 記)

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