大船山(1786m)

【前書き】
 会社登山部?の行事で坊ヶつるでキャンプをして、どこかに登ることにしました。キャンプでの夕食は最初からシャブシャブに決定。では、どこに登るか。登らずにゆっくりするも良し、登るとしたら大船山か。当初は5〜6人で予定したキャンプでしたが、M君が盲腸?手術で脱落、T氏は業務で参加不能。精鋭?3人で挑戦。如何に夕食を楽しく食べるかが最大の課題に。

【年月日】’10.9.18(土)〜19(日)
【コースタイム】18日(土) 長者原(14:20)→雨ヶ池(16:00)→坊ヶつる(16:40)
          19日(日) 坊ヶつる(6:00)→段原(7:17)→大船山(7:40-8:00)→段原(8:20)→坊ヶつる(9:30)
                 →坊ヶつる(10:00)→雨ヶ池(10:47)→長者原(12:10)
【同行者】会社関係(I部長、M課長)
【場所】国土地理院 ウオッちず地図閲覧サービス(試験公開) 493152 2万5千分1地形図名:大船山 [南西]

【写真と解説】


 坊ヶつるでキャンプするのは、初めてです。17時前に着いたのですが、3連休のためか、テント場にはかなりの数のテントが張ってありました。
 小さな子供連れ家族もいますし、佐賀工業の登山部でしょうか、団体もいました。


 トイレや炊事場からは、ちょっと遠いですが、一人用テントを張りました。日暮れ前に夕食のシャブシャブを食べ終わりたいので、急いで準備です。
 今日は灰汁が多い牛ではなく、豚肉にしました。一人当たり200g弱。白菜、モヤシ、マイタケは洗うのが面倒なので、そのまま手でちぎって入れます。中々、好評で最後はちゃんぽん麺とスープを入れて完食。食べ終わる頃には日が暮れて、丁度良いタイミングでした。500mLパックの純米酒と法華院温泉で買ったビール500mL缶1本も飲み干して満足。後は寝るだけです。


 法華院温泉です。20年位前に父親と一緒に泊まる予約を入れていたのですが、胃がんが再発して体調が悪くなり、そのまま行かずじまいになりました。そのうち、泊まってみたいと思います。


 夜中に何度も目が覚めました。トイレに行こうとテントの外に出たら星空が非常に綺麗でした。このまま晴れ渡っていてくれればよいのですが、そう上手くはいきません。6時に登り始めて向かい側にある中岳方面を見ると頂上付近は雲に隠れています。


 三俣山山頂も雲です。この後、段原に出たらガスの中でそのまま山頂へ。何も見えない中での登山でした。途中ですれ違った、佐賀工業の生徒達はすれていない、良い顔をしていました。景色は見ることができませんでしたが、生き生きとした高校生の姿や礼儀正しい若い登山者達にも遇ったし、良しとするか。

【後書き】
 久々にテント、寝袋、炊事道具を背負って歩きました。普段使っていないザックのベルトの調整が難しいです。結構、きついです。
 祖母〜傾を縦走するなら、どうやって荷物の重量を減らすかが課題になりそうです。


【前書き】
 大船山は2000年1月30日にガスの中を登ったが、視界は全く利かず、どういう風景なのか知らない。
 先週金曜日に柔道で投げ飛ばされた時、受身が取れずに腰を強打して痛いのと、風邪気味で本当は山に行くのは少し気が乗らなかったのだが、折角の3連休を何もせずに過ごしても、人生の無駄遣いだと思い、土曜の夜に出発して、大船山南東の岳麓寺登山口駐車場で車中泊。
 今回は紅葉を楽しみに登ることと入山公墓所を見ることが目的。

【年月日】’06.10.8(日)
【コースタイム】岳麓寺登山口(6:30)→入山公廟(8:35)→大船山(10:10-45)→入山公墓分岐(12:20)
          →登山口(13:35)
【同行者】単独

【写真と解説】

岳麓寺登山口の夜明け
昨晩は家を17:30に出て、宝珠山19:30、杖立温泉20:30、登山口に21:35着。

車の中で酒を飲んで寝袋で寝る。熟睡するにはテントを張るのが良いし、準備していたのだが、山の中で一人だけなのは不安で車中で寝る。

何が不安かといって、幽霊や化け物よりも暴走族なんかに襲われる不安の方が大きい。何と言っても人間が一番怖い。

珍しく車中で熟睡。5時に目が覚める。昨晩は月もほぼまん丸で綺麗だった。

この一人になる時間が俺には必要だと思う。
丘の向こうの大船山
登山口から2kmもあるかな、舗装された農道を歩きます。

カーブを曲がると初めて大船山が見えました。夜に登山口に入ったので大船山がここからどのように見えるのか分からないので、写真奥の山が大船山だとは直ぐには分かりませんでした。結構、距離があります。

この付近から上にはマツムシソウが咲いていました。
祖母・傾山
農道終点から山の中に入る。登山道から大船山が見えるわけでなし、周囲が見えるわけでなし。

数少ない展望が得られる場所で南に山が見える。20万分の一地形図と磁石で山座同定すると写真左が傾山で右端が祖母山だと思われます。

この日は西高東低の冬型気圧配置で風が強く、ゆっくり地図も広げられず、磁石よりも写真右側に見えていた根子岳を目印に山座同定しました。
ヤマラッキョウ
花の名前はあまり知りませんが、ヤマラッキョウ、マツムシソウ、リンドウ、ウメバチソウが咲いていました。

マツムシソウは農道沿いだけでした。

ヤマラッキョウは点々と咲いていました。
入山公墓所
竹田岡藩三代藩主中川久清(隠居して入山と号す)の墓。登山道の分岐案内から5分程度登ったところにあります。

城主であった14年間に5回大船山に登ったとされる。

墓所の背後には大船山がそびえています。

ここの標高は昭和50年版の山と渓谷社「九州の山」では1200m、国土地理院二万五千分の一地形図では1330m位になっていますが、私の高度計ではどう考えても1400m弱はあるような。
鳥居窪から大船山
ここに来て初めて大船山が目の前に見えました。

この付近にはリンドウやヤマラッキョウが咲いていました。あまり広くないのですが、休憩するにはいい場所です。

写真左側の斜面を登っていきます。

写真右寄りの尖がった岩は御池の岩ではないかと思いますが。違っているかもしれません。
大船山頂
ミヤマキリシマ等の潅木の間を登っていくと突然目の前に大船山頂が現れました。

山頂は既に坊ガツル方面から登ってきたツアー客で一杯でした。

この日は西高東低の冬型気圧配置で等圧線の間隔も狭く、山頂の西側は強風が吹いていました。

このコースの良いところは人が少ないことと、急に目の前に素晴らしい展望が開けることでしょうか。
大船山頂から
米窪
時々、強風が吹く中、年配の団体が登ってきます。

昼食のおにぎりを食べましたが、冷えていて喉に詰まりそうです。寒くて体調も悪くなりそう。

当初、米窪を半周して風穴側に下山しようかとも考えていましたが、左膝の調子が早くから悪かったので来た道を戻ることにしました。
三俣山
大船山頂から見る近くの山々は迫力がありました。

坊ガツルには赤や黄色のテントがたくさんありました。

その内、法華院温泉にも泊まってみたいと考えています。

昔、冬に雨ガ池から三俣山に登ろうとして登山口が分からず、写真の東側斜面を無理やり登ろうとして引き返したことがありますが、無茶でした。
御池
紅葉の時期に九重に来たのは初めてなので、どこまで紅葉するのか分かりません。一部は赤くなっています。

池の周囲へ降りてゆっくりすると良いのですが、登ったときには下りの事や帰りの車の渋滞のことを考える貧乏性なのでいけません。

黒岳は大船山の東側にどうどうと見えるのかと思っていましたが、斜め下に小さく見えたのに少しがっかり。
御池の紅葉
帰りに迷いに迷って御池に少しだけ降りてみることにしました。

この岩が鳥居窪から見えていた岩ではないかと思うのですが。

本当に紅葉したらどこまで赤くなるのか。良く考えると紅葉を見るために山に登った経験がこの年まで無いことが分かった。

【後書き】
 この3連休の天気がどうなるか、だいぶ前から天気図を何度も見ていた。7〜8日は完全な西高東低の冬型気圧配置となり、等圧線の間隔も比較的狭いので強風が吹くだろうと予想していた。登山前日の7日に福岡のパーティが白馬岳で遭難したことをラジオで聞いた。そもそも6日には宮城の大型サンマ漁船が座礁して乗組員が行方不明になったり鹿島沖で貨物船が座礁しただけでなく、陸上でも関東近辺の天気は大荒れだった。
 この季節は急な天候の悪化で山ではよく人が死ぬ。北海道の後方羊蹄山(シリベシヤマ)で100名山最後の登山で京都の女性が亡くなったのは9月だったと思う。私は本格的な山登りをするわけではないが、山の事故の本はよく読む。山で急激に気温が下がったり、雨に打たれたりして、気力が衰えたとき、人は簡単に死んでいくように思う。雪洞の中で「私、もう外に出て用を足す力がないの」と言って1時間もしないうちに死んでいくのが人間だと思う。

 今回の天気図上で冬型気圧配置であることが明確であり、雨が降る中を高齢者(最高齢は67歳)を連れて9時間以上掛かる健脚コースを歩かせる判断は本当に妥当だったのか。リーダーは登山ガイドで海外経験もあるとされているが、数日前から天気図を詳細に見ておればどのような状況になるか、プロであれば、予想できたはずであろう。

 山では良く自己責任という言葉を使うが、遭難して救助を要請した時点で自己責任もへったくれもない。救助するヘリコプターだって、いつ墜落するか分からないのである。救助に向かう人々、即ち、他人を危険に巻き込んだ時点で自己責任論は通用しない。こういう事故があると山関係者は黙り込むが、今回の件は完全なリーダーの判断ミスだと思う。きっぱりと登山中止かコース変更を決断できないのならリーダー、即ちガイドなんかするべきではない。

 会社でも山でも同じだと思うが、経験や知識だけでリーダーになれると思ったら甘いと思う。真のリーダーに必要なのは決断力であろう。全ての情報を総合して決断する。都合の悪いことでも決断する。客が要求しても危険と判断すれば断固拒否する。これが決断であろう。今回、ガイドが本当に決断力のある人間であったのか、事故の詳細が明らかになることを期待する。 

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