麻生副総理ナチス発言の問題点〜昭和天皇も参拝を止めた靖国神社

 7月29日に東京都内でのシンポジウムで麻生副総理が憲法改正に絡めてナチスの手口を学んだらという発言が問題になった。この問題については、発言撤回ですんなり決着が付いたようだが、撤回で即座に決着が付くようならマスコミもこの問題を大々的に取り上げるべきではない。マスコミも信念の無い取り組み、突き上げは止めた方が良い。日本社会の堕落の一端は大いにマスコミに責任があると思う。

 私は、そもそも今回の麻生副総理の発言の最大の問題点は、ナチス関係発言にあるとは考えていない。私が問題だと考えるのは次の部分である。「靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。」(朝日新聞デジタル “麻生副総理の憲法改正をめぐる発言の詳細”から抜粋)

 麻生副総理の発言のどこがおかしいと感じるか、要約すると以下の2点である。
@麻生副総理は、「お国のために命を投げ出してくれた人」と戦死者が自ら進んで命を投げ出したように言っているが、これは事実のごまかしである。
 太平洋戦争で軍人230万人、一般市民80万人が亡くなったが、この中で命を自ら投げ出した人間がどれだけ存在するか。99%は軍部の暴走と理不尽な政府の誘導によりしようがなく死んでいったのではないのか。麻生が言うように「お国のために命を進んで投げ出した人」など私は知らない。そんな人間はたったの一人もいなかったのではないか。お国の為ではなく、家族、父母を守るために死んでいった人がいたことは知っている。しかし、麻生が言うようにお国のために死んだ人がいたとは到底考えられない。さらに麻生はなぜ国民が死なねばならないような状況になったのかの原因を隠している。物事には、なぜそのような状況になったのかの理由がある。それを明確にして反省すべき点は反省して、後世のために役立てる必要がある。しかし、歴代自民党政権は戦争の反省をすることなく、旧敵国アメリカに媚を売ることだけに汲々としてきた。安倍も未だに日本の侵略戦争を認めていない。残念ながらその安倍が媚びへつらう米国は、安倍の態度を快く思っていない。何の罪もない日本国民をアジアの侵略に駆りだし、その結果300万人もの国民を無駄死にさせて未だに反省しない日本政府とは一体何なのだ。
A靖国神社に参拝する事のみが戦死者に対する敬意と感謝の念の表明なのか
 ここには政府の国民に対する暗黙的な脅迫がある。要するに麻生は、靖国神社に参拝しない国民は、お国のために命を投げ出してくれた人(国が無理やり死地に追いやって殺した国民)に対して敬意を表していないと暗に脅迫している。では私はいう。今回の大戦で日本国民の死に対して最も申し訳ないとの気持ちを持ったのは誰か。それは間違いなく昭和天皇であろう。明治憲法の統帥権に問題があったとはいえ、昭和天皇は間違いなく戦争責任を感じておられたし、国民に対して申し訳ないと思われていた。その昭和天皇が1975年(昭和50年)を最後に靖国神社参拝を取りやめられたという事実を麻生はどう説明するのか。それに靖国参拝を強制する政府の姿勢は、戦前の政府の国民を戦争に駆り出した姿勢と同等なものを感じる。お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払う方法をなぜ靖国に限定するのか。そこが麻生も安倍も何を考えているのか、怪しいのである。南無阿弥陀仏で何が悪い。

(2013年8月11日 記)

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