「がん治療で殺されない七つの秘訣」を読んで

 近藤誠著「がん治療で殺されない七つの秘訣」文春新書、同じく「がん放置療法のすすめ 患者150人の証言」を読んだ。著者は慶應義塾大学医学部放射線科講師なのでいい加減な人物ではない。自分なりに解釈した彼の主張は以下の通り。

@がんには、本物のがんがんもどきがある。
A本物のがんは、がん発生の極めて初期に転移しているので早期発見・治療しても助からない
Bがんもどきは、放置してもそれで命を縮めるようなことは無い
C抗がん剤は、本物のがん(固形がん)に効かないだけでなく、患者の命を縮める
Dがんの手術は、本物のがんの治療に全く役に立たないだけでなく、患者の命を縮める
Eがんの早期発見・治療は治らない本物のがん患者に無駄な治療を行うという点で無駄である。
Fがんの早期発見・治療は本来治療する必要のないがんもどきに無駄な治療を行うという点で無駄である。
G医者は、がん治療を食い物にして本来行う必要のない手術や抗がん剤治療を行っている
H日本のがん治療は、世界標準と比べて遅れている
I日本のがん治療に関する生存率等のデータには、嘘や正しくないものが多い

 本当は、もっと複雑な話でこれほど単純化できる訳ではないが、個人的には上記主張は正しいとの感触を持っている。私の周囲で亡くなった肺がんや食道がんの患者は多くが、あっという間に亡くなった。入院したまま治療を受けながら病院で亡くなる。手術しなかったら確かにもっと長生きしていただろうと思う。これらの例を見ていると素人の私でさえも手術は意味がないと思う。昔、シイタケの菌を植え付けた原木を貰った。その後すぐに彼に食道がんが見つかった。原木を伐り出したり、シイタケの菌を植え付けたりするだけの体力があったのにシイタケが生える前に亡くなった。がんに気付かずに、病院に入院しなければもっと長生きしたと思う。それももっと有意義に。逸見正孝さんも中村勘三郎さんも治療を受けなければあれほど早く死ぬことは無かったと思う

 父は胃がんで死んだ。見つかった時は、相当進行した状態で胃の全摘手術を受けた。一旦退院できたが、その後数年は病院が大半で最後まで苦しみながら死んだ。

 がん死は苦しむものかと思っていたが、NHKの特集を見ていたらがん治療を行わない患者は少しも苦しむことなく死んでいた。要するに不要ながん治療をするから苦しむのではないかと思う

 そろそろ死ぬ心構えを準備すべき年齢になったと思う。少し前に中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ」幻冬舎新書を読んだ。第一章の表題は、「医療が“穏やかな死”を邪魔している」。第三章は、「がんは完全放置すれば痛まない」である。中村氏は第一章の最初に私の考える「医療の鉄則」として二つを掲げている。
一、死にゆく自然の過程を邪魔しない
一、死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない

 これもNHK特集だったが、最近は病院も老人が死ぬ前に病院を追い出すようになったらしい。そのこと自体は良いことだと思う。その追い出された老人と家族を追跡したものであったが、足腰も弱ったその老人がヘルパーさんと食卓に向かっている。その老人は意識は極めてはっきりとしているのであるが、お茶の一口が喉を通らなくなったといってその一口を数分掛けて飲むのである。食欲が無いということでヘルパーさんは一生懸命マグロを小さく刻んだ刺身を勧めるのである。その老人の好物だったのかもしれないが。その後、間もなく老人は亡くなる。在宅医は言っていた。人間は死ぬ前には水も喉を通らなくなると。そうなのである。その老人は体が死を迎えようとしているのにそれを知らない当人もヘルパーさんも無理にまだ食べること飲むことを無理強いするのである。

 何度も書いたかもしれないが、私の曾爺さんや曾婆さんは死ぬ数日前に自分で身辺を整理して、10日位寝込んで死んだのである。自分で何かおかしいなと感じたら体が動かせるうちに人生の後始末をして、食欲がないならないままに寝て家で死ぬのである。家族もこれを見て人の死に方を覚えるのである。死んでいこうとしている老人に飲み食いを強要する現代の愚かさよ。

 日本は医療費が増大してどうしようもない状態に突入しているのであるが、その原因の一つを作っているのはがん治療と健康診断を食い物にしている医療機関だと思う。そして本来の人間の死に方を忘れた日本国民にも責任がある。昔から言っているが、日本人には自浄機能が欠落している。本当の変革をやりきらない。まあ、財政危機が来れば、自ずと現在のような放漫状態は許されなくなるから私達はそうなる前に自ら意識を変えておいた方が良いと思う。

(2013年6月4日 記)

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