軍歴証明

 父も亡くなり、母も亡くなると先祖のことを子に伝える責任は自分自身になる。父母の話は色々良く聞いた方だとは思うが一々メモしていた訳ではないので記憶が曖昧なことが多い。特に父の戦争中の軍歴については不明なことが多い。ラバウルだったか、どこだったか南方の島に送られたと言っていたが、どこだったのか。今の皇居、宮城を守っていたと言っていたが、何時頃の事か。憲兵もしていたと言っていたが、どうやってなったのか。今となっては父に聞くこともできない。

 旧軍人の軍歴については、求めに応じて恩給事務のために軍歴証明が発行されることは知っていた。ただ、父が軍人恩給支給の対象外であることは父自身が確認済みであることは何度か聞いていたので今更父の軍歴証明を求めることは不可能だと勝手に考えていた。また、複数名の行政書士などにも確認したが、軍歴証明を今から求めることは現実的ではないと説明を受けていたので諦めていた。

 最近になっても軍歴証明のことが頭から離れないので再びネットで調べてみた。そうすると恩給と関係なく、先祖のことを調べる目的で軍歴証明取得を代行する業者の記事が複数見つかった。軍歴証明が恩給事務と関係なく取得可能なことが分かったので早速父の軍歴証明取得に向けて動き出した。

 海軍と陸軍では申請先が異なる。海軍は厚生労働省、陸軍は終戦当時に本籍があった都道府県。申請可能なのは3親等以内の親族。申請に当たっては当然父と自分自身の戸籍関係の書類が必要になる。

 昔、相続で取り寄せた明治時代からの記載がある戸籍があるのでそれを見て父の終戦時の本籍を確認しようとするが見方が良く分からない。戸籍に終戦時の本籍地が記載されている訳ではないので、いつ本籍地が移動したのかを確認する必要があるが素人には見方が良く分からない。S県かF県のどちらかなのでじっくり戸籍を見て予想を立てて県庁の担当部署に電話してみた。

 父の名前、生年月日、終戦時の本籍地を伝えて軍歴記録があるか、否かを確認してもらったところ、該当する軍歴記録は無いと言う。何故だろうかと考えてみると終戦時はまだ父は結婚していなかったので、養子の父は旧姓であったことに気付いた。改めて旧姓を伝えると記録の存在が確認できた。陸軍兵籍、事実証明書、陸軍下士官兵在隊間成績調書の3点が存在するという。

 県庁のホームページからダウンロードした申請書に必要事項を記入し、身分証明書と相続時に取り寄せた戸籍謄本の束を持って県庁に行く。担当部署は通常、一般人が普通に訪れる部署ではないので受付窓口も無い。事前に訪問時間を伝えていたので担当部署を訪ねると既に小さな円卓の上に父の軍歴記録部分が開かれた状態で分厚い記録集が置かれていた。他人の記録が閲覧できないように他の部分には布が被せられていた。70年以上前の手書きの軍の人事記録なので紙も少しボロボロになりかけているが70年以上経っているにしては比較的しっかりしている。閲覧すると共にコピーを取ってもらう。

 3通の軍歴記録で父の軍隊時代の動きが全て分かったかと言うとそうでもない。昭和17年末に門司を出航し、ソロモン群島ニューブリテン島のラバウルを経由してサンタイサベル島に上陸するも翌年の3月にはマラリアと脚気で高熱と下痢が続いたこと等は分かった。この時体重が30kgまで減少したことは話しに聞いていた。兵籍記録は父の場合、移動が多く、細かい字で書かれているのでコピーでは判読不能な部分がある。昭和19年の近衛歩兵の成績記録があるということは、この時代に宮城の守備に当っていたのだろう。昭和20年になって補助憲兵になっている。訓練で宝満山に軍隊の重装備を着けて登ったが登りきらなかった話をしていたが、いつのことかは記録からは分からなかった。

 県庁の担当者に今でも軍歴証明を取りに来る人はいるのかを聞いたところ、NHKテレビのファミリーヒストリーの影響でこの夏は多かったとのことであった。軍歴証明は軍が終戦時に記録を焼却したこともあり、全ての記録が残っている訳ではないらしい。県によってはほとんど記録がないところもあるらしい。

 ネットを見ると軍歴証明を代行して取得してくれる業者が多数ある。代行手数料は20000円位。代行を頼むのも良いが、コピーと原本を照合しながらコピーの判読不能部分を原本で確認しながら閲覧しても良いのではないかと今では考えている。父や祖父が戦争でどこに行って何をして、どういう状態にあったのか。軍歴証明はそれを知る一つの情報源にはなると思います。

(2018年11月5日 記)

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