東日本大震災10年経過に思う−津波頻発地帯なのになぜ走って逃げない−

 東日本大震災が発生した時、私は中国出張の前日でその準備のために車を運転していた。運転しながらNHKラジオを聞いていたが、突然、東北地方で地震発生の通報に変わり、その後、津波警報が延々と続いた。とにかく津波が来るから退避しろとラジオは繰り返し訴えていた。これを聞いて私は心の中で大惨事が起きるぞ、と思った。

 私は若い頃から『無知は罪』と考えて、極力色々なことを知っておくように務めてきた。人はこの世で色々な不幸に出くわす。世の中には色々な不幸があるから特定の不幸を抱えている人は少数派となる。例えば、ハンセン病もそうである。確率的にみれば極めて少数の不幸であるからこの問題に誰も見向きもしなければ、積極的に徹底的に今でもハンセン病患者だった人々を差別する人間が存在する。これら差別人が存在する理由の一つは無知に由来するのである。ハンセン病が薬剤により根治可能な病気であることを知れば不当な差別は本来生じないはずである。要するに無知は差別の原因になるから『無知は罪』なのである。

 また、無知は死を招くのである。東北三陸海岸が過去、それも遠くない過去にどれだけ津波に襲われて来たのか。私は吉村昭の小説で三陸海岸が大津波でやられたことを知っていた。チリ地震で生じた津波が太平洋を何千キロも伝わって三陸海岸に被害を及ぼしたことも知っていた。東北の太平洋岸は津波のメッカなのである。何百年ではなく数十年単位でやられている。

 悲惨であまり見たくない津波の映像が発生十年でたびたび放映されている。それを見て気が付いた。映像の中に走って全速で逃げている人がいないのである。津波がそこまで迫っているのに何故かゆったりとそして振り返りながら、津波がどこまで来ているか観察しながらゆったりと緊張感無く逃げているのである。それに対し、高台やビルの上から状況を俯瞰的に見ている人々は逃げろと必至に叫んでいる。このギャップの大きさに驚かされる。

 私が幼児の頃、昭和33年なので3歳になる前。島根の大水害があった。家の前の小さな木の橋が流され、川沿いの道は山の斜面の崩落で寸断された。その風景は未だに写真のように記憶に焼き付いている。自然の威力は凄いと思う。川に浸かって膝上まで水深が来ると流速にもよるが要注意。腰まで来るとやばい。渓流を歩くと分かる。

 そもそも10〜20年前まで人間は人力で自然をコントロールできると驕り高ぶっていた。しかし、近年になって少し人類は反省し始めた。日本政府も自然災害に対し防災ではなく、減災と言い始めた。災害を防ぐことなど出来ないとやっと気が付いたのである。そもそも災害多発地帯に人を住ませてはいけないのである。

 陸前高田市だったか、緊急避難場所11か所のうち10か所が水没したとNHKスペシャルで聞いたような気がするが、行政は一体何をしていたのかと言いたい。全然過去の災害の歴史の教訓を生かしていないし、自然の力を甘く見ている。陸前高田市の小学生たちは教員の適切な判断で比較的良く守られたようであるが、東北の一部地域では教員の誤った判断で多数の生徒の犠牲者を出した学校もある。安全配慮の知識のない教員の存在は完全に犯罪である。

 避難しないと意固地になる老人を避難させようと説得しながら犠牲になった人。本来なら過去の経験を知っている老人が率先して避難を呼び掛けるべきなのに若者を道ずれにして死なせる罪。過去の教訓が何も生かされていない。そして今、打ち上げられた船や記録的な建造物が撤去されている。被災者の思い出したくない、見たくないという意見らしい。この人たちは全てを忘れたいのだろう。そして後世に子孫を同様の犠牲にしたいのだろう。

 被害にあっても働いていれば家の再建も可能かもしれないが、良く考えれば、私のように年金生活では再建は不可能である。ある意味、絶望的な被害を人々に与えた災害だと思う。しかし、これが本当の自然の力なのだと思う。人間が自然に対して強力に驕り高ぶり始めて数十年。人間が自然の本当の力を経験したのは地質学的年代からしたらほんの瞬きの瞬間に過ぎない。隕石の落下、地震、大津波、温暖化、人間は何も対処できない。

 原子力発電は人類の智慧を総結集したものと考えていたが、何のことは無い、原子炉内の冷却水の水位がどのレベルにあるかすら分からなかったのである。容器の中の水位すら確認できない技術力。そしてメルトスルー。情けない話である。廃炉というが取り出した放射性物質、核燃料はどうするつもりか?トリチウムを含む汚染水と一緒に太平洋に捨てるか。未だにどぶに金を捨てるように手間の掛かる壊れた原子炉。後百年、千年いや何万年も汚染は続く。

(2021年3月11日 記)

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