インドネシア出張記

 インドネシアに1週間出張してきた。インドネシアに対する情報は何も持ち合わせていなかった。
 そもそも引篭もりが好きな自分としては、外国にはあまり興味が無い。ましてやインドネシアには。

 インドネシアの空港には夕方着いた。到着出口を出ると床に座り込んでいる浮浪者風?の者はいるし、感じが非常に悪い。タクシーを待っていると小型電卓を持って客引きがひっきりなしに来る。空港の前は人と客引きで雑然としている。 とりあえず第1日目はホテルで休むのみ。


 上の写真はホテルの17階から見た風景。周りの家は一般市民の住宅。治安状況が不明なので1週間出歩くことはしなかった。ホテルと職場は貸切の車で移動したが、ホテルに入るには警備員がいて荷物検査と金属探知機のゲートを通過する必要がある。ホテルには大型店舗が併設されているので食事も買い物も全然困らないが、店舗の入り口にショットガンというか、でかい銃を持った警備員が立っているのを一度見かけた。どういうことか。大型店舗には食堂も何でもあるが、値段は日本と変わらない。ここに来るインドネシアの人は相当な金持ちのはずであるが、店舗の中を歩く人は多い。


 現地では4時、11時、16時頃に町中にコーランと思われる放送が流されます。私が気付いたのはこの3回です。自分自身、朝晩は阿弥陀様の前で御文章を読むようにしているので特に違和感は感じないが、夜明け前の午前4時のコーランに毎日起こされるのにはまいりました。物凄い大音量で町中に流されるのでホテルの中にも伝わってきます。従って、毎日4時には起こされ、挙句の果てには自然に3時頃に目が覚めるようになり、睡眠不足。お蔭で2冊持って行った本は直ぐに読み終わってしまいました。
 朝の音は、コーランだけではありません。ホテルのテニスコートでのプレイの音、さらに隣の体育館の屋上での空手の気合の掛け声。日中の気温は30℃以上になるので、早朝に練習するようです。朝早く起きてもすることが無いので久々に柔軟体操や筋力トレーニングをしていたら腰を痛めてしまいました。それにしても空手の練習のレベルは低い様な気がしました。それでも遠いインドネシアで日本の空手を習っている人々がいることはうれしいことです。


 インドネシア全土がそうなのかは分かりませんが、道路は基本的に一方通行ばかりでバイクが多い。日本の車と日本のバイク。これがごちゃごちゃと入り乱れて走ります。車もバイクも相当接近して走るのでとても私なんかはインドネシアでは運転できません。車は日本と同じ右ハンドル、左側通行です。対面通行がほとんどないので左側通行であることを意識することはあまりありませんが。
 広い道路では大半がヘルメットを着用していますが、狭い道ではヘルメットなしも。3人乗りも時々見かけるし、赤ちゃんをバイクの前に乗せたり。生活力があると言えば、そうも言えるし。
 道路では所々で明らかに私人が交通整理をしています。これは合流しようとする車や駐車場から出ようとする車を助けてチップを貰って生活しているのだそうです。何かをすれば、それなりに生きていける。そういう活気のある社会?
 気温は最低が27℃程度、最高が33℃程度だったと思いますが、現地の人は結構厚手の長袖が多いです。


 住宅街の猫です。猫は見かけましたが、犬はホテルの爆発物?探知犬以外は見かけませんでした。

 仕事で驚いたのは、女性進出です。担当者として出席してきた半数以上は女性です。若くてもしっかり発言し、それなりの責任と権限を有していることが分かる。日本よりも職場で女性の力が認められている、または、そのような社会を目指しているのは明らかだと感じました。
 また、私達の交渉相手はほとんど英語が出来る。メールは英語で構わないという。構わないと言われても、こちらは英語が出来ないので困るのであるが。
 50〜60代のおばちゃん達は日本のおばさんとあまり変わらない印象を受けたが、そのおばちゃん達がスマホを使っている。スマホは私も使っていないのに。

【後書き】
 中国では圧倒的にヨーロッパの車が多いのに対し、インドネシアでは日本車ばかり。明らかにインドネシアは親日国である。
 調べてみるとインドネシアは戦前300年程度オランダに植民地支配されていた。太平洋戦争で日本軍はインドネシアのオランダ兵を追い払い、進攻した。この時オランダの統治政策よりも日本軍の統治の方が良かったようである。1945年の日本敗戦によりインドネシアは独立しようとしたが、オランダは再植民地化しようとした。この時、インドネシアの独立戦争に旧日本軍2000〜3000人が参加したらしい。日本は戦時中、アジアの国々に侵攻したが、少なくともインドネシアのオランダからの植民地支配脱却に貢献したのは確かであろう。
 このような親日国が存在することは有難いことだと思う。

(2014年5月28日 記)

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