命の不平等

 パリで13日に起きた同時多発テロで世界中がテロを非難している。世界が怒っている。

 私はこれがおかしいというのである。納得がいかないというのである。

 私がおかしいのか、世界がおかしいのか、私はこれを問うているのである。

 今回の同時多発テロで129人が無くなり、まだ重体の負傷者もいる。痛ましいことである。しかし、これに対する報復としてアメリカはISの石油輸送車を100台以上無人攻撃機で撃破した。ISの資金源を断つためである。しかし、輸送車を運転していた非戦闘員100人以上も無人機攻撃によって殺されたのである。輸送車の運転手はISによって強制されて運転させられていた可能性もある。だからアメリカ軍は攻撃前にビラを撒いて運転手たちに逃げる暇を与えたと言い訳している。

 そうフランスで129人が犠牲になったが、既にアメリカはそれに匹敵する人間の命を奪った。その人々の死を悼む人間は世界中のどこにもいない。

 米無人機攻撃の住民被害を訴えるパキスタンの少女ナビラ・レフマンさん(11歳)が15日に初来日した。「私が海外でできるのは、罪のない人がたくさん殺されていると声を上げ続けること」と訴えている。彼女の故郷のパキスタン北西部の部族地域は、パキスタン・タリバーン運動(TTP)の拠点で米無人機の爆撃音を聞いて育ったという。一帯での無人機による住民の犠牲は数百人という。2012年10月24日の無人機の攻撃で祖母が死亡し、自身と他に家族8人が負傷したという。1年後に被害を訴えるために訪米したが、米政府は取り合わなかったという。(朝日新聞11月18日付「ひと」欄)

 世界中はアルカイダ、タリバーン、ISなどのテロリストを殺すためには何の罪もない人々を巻き添えにすることを当然だと思っている。事実、そうやってきた。そして、アフガニスタンでイラクでシリアで既に10000人を超える何の罪もない人々を欧米は殺してきた

 要するに欧米を守るためには罪のない非キリスト教徒を殺すことを世界は当然視しているのである。

 戦争であっても非戦闘員を殺すことは罪なのである。人道に対する罪である。罰せられるべきは誰なのか。欧米の白人ではないのか。

 白人が一人やられたら報復のためにイスラムを10人殺すことが許されるのかそういうことを欧米はこれまで当然のようにやって来たではないか。まるでナチスと一緒ではないか。

 そういえば、アメリカは太平洋戦争中、日本の市民を狙って空爆した。東京大空襲では市民が逃げられないように周囲を燃え上がらせてから中心部に焼夷弾をばらまいた。人道に対する罪を侵したのはアメリカなのである。まあ、アメリカ人から見たら黄色人種の日本人など人間ではないのであろうが。

 パリ市民が、同時多発テロの後に「何の罪もない人々が」と言っていたが、本当に何の罪もないのか?イスラムの罪もない人々を殺すことを何とも思っていなかったのではないか

 世の中は不平等である。人の命は平等ではない。非キリスト教徒の命は虫けら同然である。欧米が自分達の悲劇を怒りに訴えることだけを続ける限りテロは終わらない。彼らには弱者の視点がない。強者の驕りしかない。自分達だけが世界だと勘違いしている。

(2015年11月18日 記)

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