孫が阿弥陀様に『おいで、おいで』と言った話

 娘家族が帰省した時には、夕食前に皆一緒に正信偈のお勤めをするようにしている。今年の盆は2歳ちょっとの孫も一緒にお勤めをした。

 お勤めの前に娘から聞いた話によると孫はお仏壇の阿弥陀様を怖がっているかもしれないという。浄土真宗の仏壇には中央に阿弥陀様、右脇に親鸞聖人、左脇に第8代蓮如上人の絵像が掲げてある(名号の場合もあるが)。保育園の活動の中で鬼を意識した孫は仏壇の阿弥陀様の絵像に描かれている光背を鬼と関連付けているかもしれないという。

 お勤めは私が調声人(ちょうしょうにん)をするので仏壇の前に座っている私には後ろの孫がどうしているかは分からない。お勤めの最中に特に騒いでいる様子は無かったので大人しくしていたのだろうと思っていたら、実際は結構その場から逃げようとしていたよう。本願寺派の正信偈はゆっくりで約15分掛かるので2歳の孫にじっとしておけと言う方が無理かもしれない。

 その晩は仏間で娘夫婦と孫が、孫を中央に頭を仏壇の方に向けて川の字になって寝た。長時間の車旅の後だが、孫も夜中に目覚めることのなく寝た。

 ところが翌朝、娘が言うには夜中の0時頃に孫が急に起き上がり、仏壇に向かってはっきりした声で『おいで、おいで』と言ったという。その後は何事も無かったかの様に寝たようである。

 これは不思議な話で怖がっていた阿弥陀様に向かって夜中に起きて『おいで』という。孫には何かが見えていたから『おいで』と言ったはずである。私は阿弥陀様が『怖くないよ』と姿を現してくれたのではないかと思う。

 正信偈の源信讃にいう。

 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我

 読み下し文は以下の通り。

 極重の悪人は唯、仏を称すべし。我亦かの摂取の中に在れども、煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見ずと雖も、大悲、倦(ものう)きこと無く、常に我を照らしたもう。 

 2歳で煩悩も薄い孫には我々煩悩にまみれた者には見えない何かが見えていたのではないかと思うばかりである。

 南無阿弥陀仏

(2023年11月3日記)

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