日産という会社

 高杉良著「落日の轍 小説日産自動車」文春文庫を読んだ。30年以上前に書かれた「労働貴族」を改題、加筆修正して出版されたものである。帯のタイトルが凄い。『歴史は繰り返す。日産には、独裁を許す企業風土がある。

 内容は、日産労働組合の総帥として君臨した塩路一郎と当時の日産社長 石原俊の1980年代の戦いを実名で小説化したものである。この塩路一郎という男、労働組合でありながら社長人事や役員人事に影響力を及ぼし、会社の経営権にまで口を出すのである。これだけを見ても日産という会社が普通の会社でないことがわかる。どう普通でないかというと会社の経営陣が正面から問題に向き合っていないのである。一方でこの塩路一郎という男、夜の銀座で豪遊し、豪華クルーザーで遊び、愛人を囲って私利私欲を極めたろくでもない人物なのである。

 なぜこの塩路一郎がここまでの権力を持つに至ったのか。
 それは昭和28年ごろに過激な労働組合運動を主導していた組合指導部を一掃し、塩路一郎が労使協調路線の組合に変えたからである。当時の経営陣にとっては塩路一郎は神様のように思えただろう。ここから塩路一郎と経営陣の癒着が始まり、塩路一郎が権力を握っていくことになる。

 さて、会社の風土というものは簡単には変わらないと三菱自動車の隠ぺい体質などに関して書いてきたが、正に日産も同様な無責任体質が経営陣に脈々と受け継がれているのである。その無責任体質とは、
  @過激な労働組合運動を塩路一郎という男を使って鎮静化させた
  A1990年代有利子負債2兆円の状態を放置した
  Bコストカッターのカルロス・ゴーンの役目が終わってもそのまま放置した

 本来、組合対策は会社が行うべきものである。それを自分たちの手を汚さずに誰かにさせると付けが回ってくるのである。それが塩路一郎であった。特に会長の川又克二なども塩路一郎とグルになっているのだからどうしようもない会社である。新任の課長連中が教育で塩路の講和を聞くのが慣例になっていたというのだから正常な会社ではないというか、狂っているとしか言いようがない。

 また、1990年台の日産は赤字続きで有利子負債が2兆円で自力更生が困難な状態にありながら全く改善する気がない経営陣とは一体何なのか。こういう会社は早めに潰した方が世の中のためになる。何故ならまた十年後二十年後にはより大きな問題を起こすからである。ゴーンが逮捕されて、工場閉鎖で首になった元社員たちはゴーンを責める言葉を口にするが、本当に責められるべきは大きな負債を放置した日本の経営陣である。ゴーンは倒産寸前の日産を再生させたことは間違いない。日本の経営陣が全くできなかったことを実行したゴーンの実績は認めるべきであると思う。

 ただ、ゴーンの 経営手腕はコストカッターだけである。再生したら直ちにゴーンの首を切るべきであったのを放置した日産経営陣の責任は重い。要するに日産の経営陣は昔から重要な問題点は放置し、誰かにやらせ、自分たちは見ているだけなのであるこの体質が延々と続いているのである。一言でいえば、課題解決能力のない経営陣とそれを普通のことと考える企業風土

 日産の車は買ったことがない。エンジン音は静かであるし、悪くはないのかもしれない。しかし、負債垂れ流しのコスト無視では会社は永続しない。日産で無資格者完成検査問題が2017年に発覚した。西川社長がしぶしぶ記者会見したが、その後も日産で無資格者が完成検査を行っていたことが判明している。これはどういうことか。西川社長に現場統制能力もなければ、同じく他の経営陣にも会社統制能力の欠片もない証拠である。

 時代に適応できない会社、要するに課題解決能力のない会社は潰れるしかないと思う。

(2019年4月21日 記)

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