キリスト教にとって有色人種は人間に非ず!

 10月1日付朝日新聞朝刊の国際面に「列聖に異論 墓荒らされる」の記事。
 訪米したローマ・カトリック教会のフランシスコ法王による列聖式で「聖人」に列せられたばかりのフニぺロ・セラ神父の像や墓が荒らされらとのこと。18世紀にカリフォルニアで布教した神父は、先住民に残酷な仕打ちをしたとの批判が先住民系団体などから寄せられ、列聖には異論もあったとのこと。

 さて、フニぺロ・セラ神父とはどのような人物だったのか。ウィキペディアから抜粋してみる。①~⑧が抜粋である。

①カリフォルニアのインディアンに対して行った残虐行為とその残忍性から、作家のジョージ・モンビオット英語版はセラを「カリフォルニアのアドルフ・アイヒマン」と呼んでいる[1]

②セラはカリフォルニアでの伝道(ミッション)を、イエズス会のやり方に倣った。武装したスペイン軍隊と共にセラはインディアンたちの平和な村々を襲い、酋長や呪い師を「異端者」として真っ先に捕え、拷問を加えて脅迫し、火炙りにしてこれを殺した。大人も子供も構わず、インディアンたちを動物のように捕まえ、柵の中に追い込み、「死にたくなければカトリック教徒に入信するように」とインディアンたちを脅迫し、逆らう者たちを殺した。
フランシスコ会の記録者フランシスコ・パロウ英語版神 父の報告では、セラが指導したフランシスコ会士の支配による最初の3年の間、インディアンたちの大人と子供が76人が洗礼を受けさせられ、これを拒否した 131人が殺されて埋められた。同時期にフランシスコ会がインディアンに対して行った他所でのミッション状況は以下のとおりである。
  ・「サンノゼ・コモンデュ英語版でのミッション」-洗礼数94人、殺害数241人
  ・「プリジマ・デ・カデゴモ英語版でのミッション」-洗礼数39人、殺害数120人
  ・「ヌエストラ・セフィオラ・デ・グアダルーペでのミッション」-洗礼数53人、殺害数130人
  ・「サンタロザリア・ド・ムレゲ英語版でのミッション」-洗礼数48人、殺害数113人
  ・「聖イグナチオのミッション」-洗礼数115人、殺害数293人

③セラが率いるフランシスコ会によるカリフォルニア支配が始まって3年の間に、カリフォルニアのインディアンの3分の1から4分の1が死んだ。イエズス会士 が初期のミッションを担当した数十年間に、どれだけのインディアンが死んだかは今となっては分からない。イエズス会は殺したインディアンの数を「必要無 し」として、記録していないからである。パロウはこう書き残している。「それがこの調子で続くなら、そう長くない間に、“懐かしきカリフォルニア”は終わ りを告げるだろう」

④セラは洗礼させたカフイラ族、セラーノ族、チェメフエビ族、ルイセノ族、クメヤーアイ族、キュペノ族など言語の違う多数のインディアンたちをひとまとめにし、伝道所へ拉致連行し、「ミッション・インディアン」として奴隷化した。

⑤セラの下から逃げ出したインディアンたちが捕えられると、彼らは重い丸太と鉄の手枷に縛り付けられ、100回の鞭打ちを受けた。子供であっても容赦 はされなかった。普段でも、ちょっとした「罪」で宣教師たちはインディアンに鞭打ちを15回加えた。ある旅行者はこう書き記している[9]

彼らは全員、生革のロープで縛られました。何人かは傷から出血していました。そして、何人かの子供たちは、彼らの母と一緒に縛り付けられていました。逃亡した男の何人か棒に結びつけられて繋がれ、革の鞭で打たれた。1人の酋長は野原へ連れ出され、ちょうど死んだばかりのまだ温かい子牛の腹を裂いた中に縫い込まれました。彼は一日中杭に縛りつけておかれました。彼はすぐに死にましたが、彼らは彼の死体をそのまま放っておきました。

⑥セラの人生で残りの3年間、サンディエゴからサンフランシスコま での伝道所を訪れて歩いた距離は600マイル (960km) を超え、洗礼を受けたものの堅信礼を行っていった。セラは不自由な脚と胸の病にひどく苦しんだが、治療をしようとはしなかった。セラは5,309人の堅信 礼を行ったが、その者達は少数の例外を除いて1770年から14年間に強制改宗されられたインディアンだった。インディアンたちがセラの堅信礼に逆らえ ば、即座にスペイン軍によって殺された。

⑦セラと同じフランシスコ会の司祭であり、作家であるアングルベール・オマールフランス語版は、その著書であるセラの伝記でセラ神父を、南北アメリカで数100万人のインディアン民族を大量虐殺した一連のスペイン人による征服行為の歴史の中の、「最後のコンキスタドール」と称している[11]

⑧1980年代になって、ローマ教会はこのセラ神父を「聖人」に加える予定であると発表した。これに猛反発したのは、セラによる虐殺を生き延びたカリフォルニアのインディアンたちだった。その中の一人であるルパート・コストは、1987年に妻と共に『The Missions of California : a legacy of genocide』を発表。セラの残虐行為の詳細を丹念な分析で追ったこの書籍は、ローマ教会を慌てさせた。結果、ローマ教会は翌年にセラを列福はしたが、「聖人」への列聖は長い間見送られたままだった[13]。ローマ教皇フランシスコが初めてアメリカ合衆国を訪問した時の2015年9月23日、フニペロ・セラを列聖に加えた[14]

 これだけの残虐行為を行った人間?(獣そのもの)を聖人と崇めるローマ・カトリック教会とは一体何なのか。未だに彼らは自分達が行った残虐行為を全く反省していないのである。その証拠に前法王のベネディクト16世も2007年5月13日、ブラジル訪問中に「先住民は聖職者の到来を歓迎した」、「福音を説くことでコロンブス到達前の文化の自主性を奪ったことはなく、外国文化の押しつけでもなかった」と発言している。これについては、私の随筆何が世界を破滅させようとしているのか!に記述しているところである。

 そもそもあの有名なモンテスキューは、「法の精神」の中で『黒人が人間だと考えることは不可能である』と述べているのである。

 話は変わるが、ヘンリー・S・ストークス『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』という本の中に興味深いことが書いてある。戦時中の日本の慰安所に関連した記述の中で、『むしろ男女の大虐殺や、処女の集団強姦は、キリスト教世界のお家芸だ。たとえば、聖書の「民数記」では、神の宣託を受けたモーゼが、異教徒は、「男も女も全員虐殺」することを命じている。さらに、「男を知らない処女は、分かち合え」というのだから、恐ろしい。』とある。

 調べてみるとキリスト教の神は異民族皆殺しを命じる神なのである。だからアメリカ原住民を虐殺しても当然なのである。未だにローマ・カトリック教会が反省しない原因もキリスト教の根本を考えれば当然なのである。

 ベネディクト16世のことを調べていたら“カトリック教会の性的虐待事件”とか色々出てくる。キリスト教の神はそういう神なのである。

(2015年10月1日 記)

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